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01
人口減少の中でいかに持続可能性を高めるのか -
京都市の人口減少が全国一ということにばかり関心が集まって、市会の議論も「いかに人口を減らさないか」「子育て世代の流出を阻止する」ということばかりに集中しがちです。
もちろんそれも大事だとは思いますが、しんどいことではあるけれど、人口減を前提として、一つひとつの地域の持続可能性をどう高めるかの議論が大事です。
具体的な課題として、小規模になっている町内会の統合や、消防分団の学区を超えた再編成などを取り上げています。
決まって「地域の意向を尊重して」という答えが返ってくるのですが、なかなか地域ではそういう話が進まない、その中で負担感から人が離れていくという現実を見れば、地域任せで解決する問題だとは思いません。
地蔵盆や地域の祭など、生活に根差した文化を守るということでもあります。
雲ケ畑や小野郷などの北区の北部や京北などの地区では、そもそも人口減少が進む中で集落機能をどこまで維持できるか、負担軽減と合意形成、そして最後は住民化が暮らし続けられるように支えていく行政として果たしていくべき責任ということを、もっと詰めて議論しないといけないのです。
広い京都市には人口規模も年齢構成も、歴史や文化や環境が異なる地域がたくさんあります。140万人の人口がいる京都市全体で見ての1万人の増減でみるよりも、それぞれの状況の違いに合わせて、持続可能な地域づくりのやり方を考え、地域任せにせずに具体的な動きをつくる方向に、目を向けたいところです。
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02
「人口をどう増やすか」ではなく「暮らしをどう充実させるか」 -
令和3年の人口動態で、全国の市町村で人口減少の数が一番多いのが京都市でした。
確かに、人口は安定していることが望ましいのですが、日本全体が人口減少となる状況の中で、いかに京都市という単位での人口増減が他の自治体と比べてどうかという点にばかり目が向けられるのは危ういと思います。
人口維持に走るあまり、長期的な展望を持たず都市計画を歪めてまで住宅を建てようという流れに陥ってはならないのです。
まずは、人口をどう増やすかという点で目標設定するのではなく、市民の福祉や暮らしやすさをどう向上させていくかという視点で政策が組み立てられていくべきです。
他都市との人口の取り合いばかりに政策的なエネルギーを割くことは好ましくありません。
京都市全体で見た時の人口減少問題でより深刻であるのは、北山三学区や京北地域、左京北部などの山間地での人口減少です。
こういう場所で地域の産業をどうつくるかとか、山間地に住みつつ街中で働くということをどう可能にしていくかなどに、特に移住支援の取り組みは特化していっていいと思っています。
自治体間で競い合う必要があるとするならば、その視点や目標は単純に人口の増減に置くのではなく、住民と自治体やその地域との関係性の深さや地域への愛着、関りへの意欲というものに置かれるべきなのです。
その点で、京都市にまだまだよくする余地はあると思っています。
新しく住民となった方が、それを負担と感じることなく地域に溶け込める環境づくりも大事です。
行政の政策決定や地域で何かが決められるときに、自分がちゃんと意思決定過程に参加できていると感じられる市民の方は、残念ですがすごく少ないのが現状だと思っています。
「いりびと」が勝手なことを言うと困る、という意識は変えていかないといけないという点は、以前から指摘をしていました。
自治の伝統と強みを、ごく一部にとどめるのではなく、幅広い市民が参加できるものにしていきたいと強く思いますし、そうした視点で議会活動を続けてきました。
住民が住む場所を選ぶ軸は、家賃や利便性(それも大事ではありますが)だけではないのでは、と考えています。
その地域でいかに自分の存在が認められるか、自分の暮らしたい暮らし方ができるか、そういう点が重視される時代が、これからの社会なのではないでしょうか。
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03
これからの京都に、私が大事だと思っていること -
一つは、多様な市民の参加による自治を高めていくということです。様々な市民セクターが政策形成に関わってきた京都の伝統を生かし、異なる意見を持った市民とも対話・協働し、よりよい政策を市民と作り上げていくということです。
また一つには、個人の幸せが社会全体の幸せにつながるという価値観よって、「ひと」や「暮らし」を支えることに重点を置いていくことです。
目先のお金や効率性だけを追求するのではなく、文化や景観・豊かな都市の中の緑やなども含めて、普遍的な価値が大事にされる京都をつくっていけなければなりません。
住民サービスも守りながら財政の改革もやっていくというのは難しいことですが、こういう理念や価値観でやっていくことが、道をひらきます。
そしてまさに、そういう道を実現するのが立憲民主党の役割です。
京都の地方選挙は、長年にわたって構図が固定化し、そのことが有権者の関心を失わせ、低投票率が続き、結果として政策議論が深まらないままに政策とシステムの硬直化を招きました。京都市の財政危機の要因はその一つの現れです。
「市民の自治」「人や暮らしを支える」「普遍的な価値」を理念に、京都の政治に、いままでなかった風を吹き込む。
これは立憲民主党のみならず、以前から民主党を支持していただいたみなさんの共通した思いだと感じています。
権力の固定化は閉塞感を生み、政治の活力、ひいては国の力を失わせるから、政権交代可能な体制をつくるというのが、一貫した理念であったと思うところですが、現状は、野党を支持している方々にも、今回の選挙での政権交代が現実感を持って受け入れられていないのが実際のところだと実感しています。まずは、政策を磨き上げていくために、野党陣営の次世代を担う政治家が、表舞台で活躍できる状況になることを、全国規模で目指していきたいところです。
京都においても、民主党ができて以降、それまでの自共対決と言われた京都政界の構図が大きく変わったし、そのことに期待を持って応援いただいた方も多くおられました。
しかしながら、国政においては曲りなりにも一度は政権交代を実現した民主党でしたが、京都市政史においては、結党から消滅までの間、独自に候補を立て、市政に新しい展開をもたらすということはできませんでした。
結党から今までの京都の民主党とその後継政党の歴史を振り返りながら、民主党の時代にはできなかった、京都市政にあらたな展開をつくっていくことを、私たちの世代で、必ず実現をしていかなれればと、あらためて決意するところです。
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04
京都市は財政破綻の危機にあるのか否か -
昨年、行財政改革計画が策定されたときには「財政再生団体」への転落の危機だということが言われていました。
そこから1年がたって、今度は転落の危機を脱したというのが京都市の説明です。
実際どうなっているの、と多くの市民が疑問に感じるのは当然のことと思います。
結論から言えば、「収支が不均衡であるという財政の課題は何も変わっていなし、一方で、財政破綻寸前というほどは、もともと悪くない」というのが私の見方です。
もともと京都市は政令市で、人口も税収も一定の規模があり、小さな市町村と比較すれば財政力は豊かです。長年収支の不均衡が続いてきたので、このままではいわゆる財政破綻をすると言われていたのではありますが、適切なコントロールができれば破綻を回避することは十分にできます。
ではもう課題はないのか、といえばそうではありません。
適切なコントロールができる状態にできているのかどうか、ということを考えた時に、行財政改革が緊急避難的な負担の引き上げや市民サービスの見直し、人件費削減といった「数字合わせ」の改革にとどまってしまって、本当に必要な京都市全体の予算編成過程での意思決定のシステムの変革や、事業の経費管理の甘さの改善や、行政の役割の再定義といったところに、ほとんど手がつけられていない点に課題があると見ています。
私が「直ちに収入の範囲で予算を組むようにすべき」という立場に立たないのは、直ちにそれをしようとすると市民負担増と公共サービスの縮小でするしかなくなると考えるからです。
10年程度の時間をかけて、分権・参画を進めて行政の役割を見直していくことや、縦割りの見直しや組織機構の見直しをやっていくことこそが大事であり、そうすることで、市民の暮らしを支えることと財政の持続可能性とを両立させられると考えているところです。
京都市財政の問題で深刻なのは、財政危機ということが前面に出たことで、行政への信頼の低下と、極端な京都市のイメージダウンを招いたという点です。
行財政改革の中で行われてきた改革の多くは、もともと課題として指摘されていた事項でもあり、財政危機ということを言わなくてもいずれにしても手をつけないといけないものではありました。財政危機を打ち出さなくても、人口減少を見据えての行財政改革としてやることはできたのではないかと思います。
そしてもう一つは計画策定の過程で、市民の多様な意見と対話し、行政の役割の再定義をしていくことなど、市民と一緒に方向性を考えていくということが十分にできなかったことで、協働の幅を狭めてしまったという点です。 ここから先、京都市の政策運営・財政運営に対する信頼回復を図っていくことができるかが、問われます。
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05
政治文化を変えていきたい -
有権者を後援会として観劇や旅行会などの様々な行事で囲い込む。
慶弔ごとに種々の心づけをする。
そして、有権者がそういうことを求めている。
こういう文化がまだまだこの国の政治には根強く残っているということの本質にもっと目が向けられないといけません。
細川内閣のときに政治改革として衆議院の選挙制度が小選挙区制に変わりました。
そのことによって、確かに国政選挙の結果は後援会組織の強弱ではなく、政党の支持に大きな影響を受けるようになりました。
しかし、個々の選挙区や、もっと言えば地方議員の選ばれ方には、まだまだこういう政治文化が残っているところが多くあります。
政治への不信や無関心が広がっている要因には、こういう旧来の政治文化に馴染めない人が特に都市部で増えているということだと思うのですが、そうした方々の民意を受け止める仕組みが政党のなかにもまだできていないなと感じています。
新しいモデル構築にはまだ時間がかかりそうですが、それをきっちりやっていかないと日本は良くなっていきません。
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06
長期的視野での福祉人材の育成 -
政治家が福祉を語るときに、「待機児童ゼロ実現」というように、数で議論しがちです。
施設の数を増やせば、確かに利用できる人は増えます。予算を投入したり、基準を変えたりすれば、施設の数を増やすのは、比較的に簡単ですし、政治家からすればわかりやすい成果になります。しかし、施設の数が倍になっても、そこで働く人を増やすことは簡単ではありません。未経験者をとりあえず転職させてくればいいというものではありません。
児童・介護・障害など、どの分野を見ても専門性をもって、利用者を支えることができる人を育てていくには、長い時間がかかります。
実施に福祉事業の経営に携わっていていつも感じることは、そういう長期的な人材育成の大切さです。短期的成果ばかりを求めるばかりではなく、寄り添えるプロフェッショナルを増やしていく、息の長い施策をやっていかないといけないのです。
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07
議員視察の見直し -
悪い意味で議員視察に注目が集まっています。
議員の視察のあり方は、大きく見直していくべき時期にきていると私は思っています。
論点はたくさんありますが、
・関心あるテーマはそれぞれ違うのに、そもそも大人数で揃っていく必要があるだろうか?
・施設の実地視察ならまだしも、会議室で視察先の理事者の話し聞くだけなら、映像システムでやればよくない?
・視察メンバーが全員そろって食事をする(夜の場合は飲酒も)必要があるか?
・視察の必要に応じて行われるっていうよりは、決まった時期に定期的に行われるものになっていないか。
など、
気になっていたことはたくさんありました。
京都市会の海外行政調査は視察テーマに関心ある人だけが参加する仕組みだったので、国内の他都市調査も含めて、そういうやり方に変わっていったほうがいいのではないかと思います。
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08
政務活動費が正しく使われるために -
繰り返し不正使用問題が起こるなど政務活動費が悪い意味で注目されています。
私は政務活動費で、正確で緻密な調査や活動の情報発信を行うことが、選挙での最重要な選択ポイントにならない限り、変わっていくことはないと思います。
多くの議員は、飲食を伴うたくさんの会合に出席したり、後援会のパーティやったりに力を注ぐほうが、調査研究より票になると感じて行動しています。会合で一緒にお酒を飲んで話をする、慶弔事や盆踊などの行事に来る、そういうことで親しみが持たれ、名前を覚えられて投票につながる。だからこそ、調査ではなく飲食費や会合費や慶弔費にお金をつかいたい議員が多くなり、政務活動費の不正使用がおこります。
10数年前、私が政策秘書で関わった仕事はネット選挙やマニフェストの配布の解禁でした。当時は、政策中心の選挙に変えていくことが、この国を変えることになるんだという熱気がありました。
時間はかかるでしょうが、少しずつ有権者の意識も変わってきていると感じています。選挙が政策選択の場になっていかない限り、政務活動費や政治資金の問題はなくならないということを、より多くの人に伝えていかねばと考えています。
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09
女性の政治参加を進めるために -
私は男性ですが、政治への女性の参加を進める男女候補者均等法が成立するなど、女性議員を増やしていくことはとても大切なことだと思っています。
しかし、市民が政治家に求めるものが変わっていかないと、どれだけ政党が女性の候補者をそろえても、実態は変わりません。
新年会シーズン、一晩に何件も会合を回る議員ががんばっていると評価される社会で、そういうのが難しい小さい子どもを育てる女性議員が選ばれていくでしょうか。
後援会の役員にセクハラされて、それが悪いことだと女性議員が指摘できる社会でしょうか。
男性女性ということだけの問題でなく、本当に女性が議員になっていくことが増える社会というのは、議員に求められることも変わっていく、議員と市民の関係がもっと対等なパートナーになれる社会なのだと私は思います。